自分を愛せているか
あなたのわがままを言って誰かを受け入れてくれたであろうか。子供の本性はわがままなのである。それなのにあなたは一切のわがままを自分に禁じた。それは周囲の人が禁じたからである。それを禁じなければあなたは拒否されたからである。
ところが不思議なことに、あなたは今、あなたを理解することなく、あなたをもてあそんだ人を憎んではいない。逆にあなたを理解し、あなたに温かさを与えてくれるような人を憎んでいたりする。
※本文中から引用
本の内容から気になったところ
よくお手伝いする子は親の機嫌を損ねるのを恐れていて、その人のご機嫌をとらなければ欲求を満たすことができない、そして甘えることができず、表面的な付き合いしかできない。
外づらのいい人は外では甘えの欲求を表現していない人、内づらの悪い人というのも同じ、外より安心しているだけで決して本当に安心しているわけではない。
甘えることの反動形成がうつ病
本当は幼児が母親にあつかわれるように、自分もその身近な人に扱われたい、しかしそれはすでに恥ずかしい。恥ずかしいけど、心の底ではそれを望んでいる。
自己無価値観に苦しんでいる人が恩着せがましくなる。
甘えの欲求を表現できる人はこの逆。
恩着せがましい親は子供の甘えを封じている。
子供に感謝を要求する父親は最低。
相手は自分に迷惑をかけられることを決して嫌がっていないということが感じられてはじめて甘えの欲求な満たされる。
「ママのこと好き?」と聞く母親も最低で聞かれる側は甘えられない。
第3章より
本当は嫌いなのに好きであるとおもっている心の見分け方
心にもないおおげさなお世辞を言ってしまう相手、本当に好きなら平気でウソをつけない。
不満な人間はどこにいても不満なので無視するのがいい。
情緒的に未熟な大人は「ほっておく」ということができない。
第4章より
何歳になって誰もが甘えの欲求をもっているのでそれを認めるようにする。
認められないから怒りだし不機嫌になる。
誰もが秘密を持っていて自分の世界を持つためには秘密が必要。
自我に目覚めた青年期になると勝手に部屋に入ると怒る。
勝手に日記帳を見られると怒る。
小さなこどもたちが秘密基地を持ちたがるのも同じようなこと
親はその気持ちを大切にしなければならない。
第5章より
どうでもいいことに大人が怒るわけ
心理的にはどっちでもいいことはどっちだってよくない。
こどもなら怒ることができるが大人は隠してしまう。
なので期待はずれでも怒ることができない。
甘えを認めることが出来ないと何歳になっても、たとえおじいさんだとしても他人の甘えを許すことが出来ないので怒りだす。
葛藤のない素直な親は、子供が小さなことに怒ったり悲しんだりすることに深い理解を示し、そのような心の動きを受け入れることができる
自分の欠点は「好きなあなた」の嫌いな点にしか過ぎない。
好かれるということは相手は自分に満ち足りているということ。
好意とひいきと共生的関係
ひいきされるのが嬉しいというのは、自己中心的で他人を理解できない。
また、ある人をひいきする人は普通の人より依存心がつよい、そして相手の自由を許さない。
所有欲がつよく支配的な人。
共生的関係=お互いの個性の犠牲の上に成り立っている関係
女子高生グループが「あの人と付き合うんなら私達とは付き合わないで」と仲間にいうのと大の大人がやっていることは同じ。
騙されやすい女性
プレイボーイの心にもないお世辞をまに受ける、それは心の底で求めているのは好意ではなくお世辞だからだ。
なぜ自然の欲求をおさえるのか
大人にとってはくだらないことでも小さな子供にとっては面白い。
自然感情を見失うと人生に無意味感が出てくる。
つらいときはつらいと感じ
退屈なときは退屈と感じれる人
怖いときは恐怖を感じれる人
淋しいときは淋しいと感じれる人は救われる
立派な自分、愛される自分というイメージは捨てること。
誰からもよく思われたいはそれだけ愛に飢えている。
アルコールやクスリ依存も愛に飢えている、そして愛に飢えている自分を自覚できていない。
先ずは自分を大切にする=自分に優しくすること
恥ずかしがりやの人、自惚れのつよい人は自分に対する最悪の批判家
優しい理解者がいてその次に批判家がでてくるのが普通で、あまりにも恥ずかしがりやの人はこの順序が逆に育ち、いきなり厳しい批判者と接して心が壊されている。
自惚れやの人は心の底でなにかを恐れている。
自分に批判的な人ほど何かと失敗を恐れる。
自分を自分の第一の理解者であろうと本気で決意すること
自分で自分を世話し、自分が自分に甘えることを許すこと
読んでみて甘えることの意味がわかった。年齢や立場に関係なく大人の怒りの大半は愛に飢えていて、心の底では甘えたいのに、それをこどものように表に出せないため怒りとして親しい人にぶつけている。